スズメスピリチュアル! はたまたサイコキネシス! そして襲いかかる謎の結末・摩訶不思議な超常体験の追憶

襲いかかる謎の結末!スズメ超常体験の追憶、一体あれは何だったのだろうか?あれはサイコキネシスだったのか?これはから語る話は今から40年以上も昔のお話です。

「スズメスピリチュアル体験記」



その日、少年であった私を襲った激しい衝動とは

その日はうす曇りのどんよりとした日曜日だった。

正確に何年何月だったのかはもう覚えていない。だが私が小学生だったのだけははっきりと覚えている。なので1970年代だったのは確かだ。つまり今からもうかれこれ40年以上も昔の話である。

まだ少年であった私はその日とある異常な欲求にかられた。

何故なのかはもう覚えていない、しかし何故か無性にという程度では表せない程激しい衝動にかられたのだ。

それは

何がなんでもスズメを獲りたい!

今思えば意味不明な衝動だった。何故なら鳥かごすら持っていないのに獲ったあとどうするのかというビジョンが全くなかったからだ。ただ獲りたい衝動だけが激しく沸き起こったのだ。

この時代、街中にはとてもたくさんのスズメが溢れかえっていた。当時私の暮らしていた東京郊外の住宅地でさえもである。

しかし溢れるほどにたくさんいるからといってスズメを獲るのは容易い事ではない。それは法律がどうとかという意味ではない。鳥獣保護法なんて当時の少年には全く知る由もないのだ。

何か専用の道具が無ければ流石に野鳥を捕まえるのはムリだという意味だ。

だが何の変哲も無い平凡な少年だった私に用意できる道具はほんの他愛の無いものだけだった。

それは蝶々などを獲る為の華奢な虫とり網だ。

成せば成る!このスズメを捕えたいという激しい欲求はいかなる難問をも跳ね除けて少年を行動へと移させる強大な原動力となるのだ。

幸いにもと言うべきか不幸にもと言うべきかターゲットとなってしまったスズメ達はもうイヤって言う程に身近にたくさんいるのだ。私は並々ならぬ決意をもって虫取り網片手に意気揚々と昼下がりの家を出た。

「ジュジュ」の鳴き声との格闘、悪戦苦闘

家を出た私は早速家の道路向かいの空き地に繰り出した。

当時の東京郊外というのは今とは比べものにならないぐらい空き地や手つかずの自然の野っぱらがたくさんあった。田んぼですらあちこちにまだまだあったのである。もちろん今のような周囲を取り囲む柵などしているはずも無かった。それらは少年たちの格好の遊び場だったのだ。

しかし空き地におけるスズメ捕獲作戦は難航を極めた。

まず空き地にはススキなどの草が生い茂り遠くをあまり見渡せないのでスズメを視認する事が難しかったのだ。

スズメは通常「チュンチュン」とさえずるが、私が近づくいたらたちまち「ジュジュ」って鳴いて仲間もろともに逃げてしまうのだ。この「ジュジュ」はスズメが警戒しているときの鳴き声だ。こちらはほとんどスズメの姿を見つける事さえできないで鳴き声だけをたよりに近づいてるのに「ジュジュ」って鳴かれたら全てはパー、あっという間に遠くに飛んで行かれてしまうのである。

うーん、草木の生い茂る空き地はこちらが圧倒的に不利だ。さてどうする。

ひらめいた

ならば視界の開けた所で勝負だ。そうだ逆に路上のスズメだ。路上のスズメなら人が近づいても空き地ほどは警戒しないはずだ。だって路上にひとがいるのは日常茶飯事なのだから。

路上といっても道の両側に家が建ってたりクルマがよく通るような道にはスズメはあまりいない。

だが恰好の彼らのたまり場を私は知っていたのだ。

それは片側が森になっている道、この森から路上まで繰り出してくるのかどうかは解らなかったがとにかくその道にはスズメが大挙して群れているのだ。早速そこへ向かう。

しかしこのスズメのたまり場における路上捕獲作戦も失敗に終わった。

そもそも持っている道具が虫とり網ではその射程に入る前にスズメ達は一斉に逃げてしまうのだ。

根気よく幾度となくチャレンジするもこんな虫とり網で捕まるほど鳥類はヤワでは無かった。

私の目は諦めと落胆のしずくで霞んだ。

しかし虫取り網ではどれだけやっても無理なのはもう明白だった。私はしかたがなく失意の中とぼとぼ家路へと向った。

まさかの展開、これはサイコキネシスなのか

失意の家路のさ中でも私の悔しさは途方もないものだった。何故スズメはあんなにすばしっこいんだチクショー。

そんな怨嗟の感情を抱えたまま家まであと50mほどの所まで帰ってきた時、突然それは起きた。

何かがポトリと約1m程目の前に上から垂直に落下してきたのだ。

路上に落下したものを見た私はまさかの展開に大歓喜した。

そう、それはスズメだったのだ。

落下した衝撃からかぐったりしている様にも見えたがそれでも半日追い回して全く歯が立たなかったスズメが今、目の前にいるのだ。

私は大慌てでスズメを両手で捕まえた。

「やったぞ~!!ついにスズメを捕まえたぞ!!」

私は心の中で盛大な雄たけびをあげた。

が、私の喜びはそこまでだった。

私の両手にくるまれたスズメから「ピクッ」という激しい痙攣のような衝撃が手のひらに伝わる。

何とスズメはその痙攣を最後に息を引き取ってしまったのだ。

生きたスズメを捕まえたのはほんの数秒で終わってしまった。

雨雲が厚くなってきたのか空は少し暗くなりポツリポツリとわずかな雨粒を滴らせ始めた。

私はなにかとてつもない罪を犯したような気がしてきた。それは私が絞め殺してしまったのかもしれないという罪悪感だ。

心の整理もつかないまま家にもどると私はおもむろに庭いじり用の小さなハンドショベルで庭に穴を掘った。

どれほど動いてくれ目を開けてくれと願って見つめても体をさすっても、もう2度と動く事が無くなったスズメが冷たくなってきた為にその死を受け入れたのだ。

せめて庭にお墓を作って埋めてあげよう。庭の片隅で30センチほど掘った穴に冷たくなったスズメを埋めた。土をかぶせて近くにあった石ころからなるべく形の四角張ったものを選んで墓碑として建ててあげた。

夜には天気は本格的に崩れ本降りの雨となった。

それから一週間が過ぎた

それから一週間が過ぎた。

またしてもスズメが私の目の前に現れる事件が起こる。何と今度は家の中にスズメが入ってきたのだ。

どうやらキッチンの前の横長の小窓が少しだけ開いていたのでそこからスズメが入ったようだった。だが入ったのはいいが窓は少ししか開いていなかったので出口を見失って慌てているようだった。さらに人間である私が気が付いて近づいたものだからよけいにパニックになった様で窓ガラスに何度もアタックを繰り返す大騒ぎな状態になった。

私の中に一瞬またスズメを捕まえたい衝動が芽生える。絶好のチャンスじゃないか。

しかし次に脳裏に浮かんだのは先週のあの亡くなったスズメの最後の痙攣の感触だった。あの「ピクっ」だけは凄まじいトラウマとなって私の中に刻まれていた。

私は窓を全開に開けてあげた。

もはや私に心の迷いは無かった。

スズメは恐怖の空間から解放される喜びにあふれた様に一目さんに青く晴れ渡った大空へと消えていった。

私はスズメがもうどこへ行ってしまったか判らなくなった後も青く澄み渡った空をとても清々しい気持ちでとめどなく眺め続けた。

あとがき

実に摩訶不思議な一週間でした。

最初のスズメは何故にあんなにも偶然に私の目の前に落ちてきたのか。あれは私のスズメ獲り執念が呼び寄せた所謂サイコキネシスだったのではないか。

だが何故スズメが死んでしまったのかは今でも解らない。私があまりにも逃がしたくない思いが強かったのでスズメをくるむ加減が強すぎて窒息したのか、人間に捕まった恐怖でショック死したのか、そもそもひん死だったから地上に落下したのか。地上に落下してひん死になったのか。

そして一週間後にやってきたスズメはいったい何だったのか。

これらの疑問は私が一生抱える決して解かれない謎となってしまいました。そして私の人生においてこれほど摩訶不思議な事はその後起きていません。



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