認知的不協和理論は、私たちの信念と行動が一致しない時に感じる心理的な不快感を説明する心理学の理論です。この理論は、アメリカの社会心理学者レオン・フェスティンガーによって1957年に提唱され、多くの実験によって支持されています。
認知的不協和実験とは
まずはフェスティンガーの有名な実験である「認知的不協和実験」の内容をご紹介します。
まず同じ様な年齢の被験者(参加者)を集めて実験開始です
①参加者に非常に退屈なタスクを行わせます
何よこのつまらない作業。これを1時間とか地獄だわ
②作業終了後に他の参加者に対してそのタスクが面白かったと言うように依頼しました。報酬は、一部の参加者には1ドル、別のグループには20ドル支払われました。
嘘つき料か。つまりワイロだ!
③面白かったと言ってもらった後実験が終了したと告げます。さらにさりげなく参加者に作業の感想を聞いてみます(実はここからが実験の本番です)。
すると1ドルしかもらえなかったグループは「とても楽しかった」と答え、20ドルもらったグループは正直に「つまらなかった」と答えたのです。
とっても楽しかったです
つまらなかったです
認知的不協和理論へと発展
この実験結果は一見「逆じゃないの?」と思うかもしれません。しかしフェスティンガーはここに「認知的不協和理論」という新しい理論を見出したのです。その理論での解釈はこうなります。
1ドル=150円しかもらえなかった参加者は、自分の行動(退屈なタスクを面白いと言う)を正当化するために、タスクが実際に面白かったと信じ込む傾向が強まりました。これは、たったの150円の報酬で一時間もあんなにつまらない作業をさせられておまけに面白かったとまで言わされたのはあまりに見合わない。この見合わなさはとても不快な気分なのでなんとか解消したい。しかしこの不快感を解消する術は「あの作業は本当に面白かったんだ」と信じ込む以外になかった。そうして彼らは不快感を解消したのだ。
逆に20ドル=3000円もらったグループはその全てを3000円という時給に還元する事ができたので一切の不快感は残っておらず正直につまらなかったと答える事ができた。
ここでフェスティンガーはこの「不快な気分」の事を「認知的不協和」と名付けました。
さらにフェスティンガーは認知的不協和はこの実験のケース以外にもさまざまな日常生活の中で発生すると言います。それは
- 自分の確信していたものが否定された時
- 自分の行動と知識の間に葛藤が生じた時
具体例を出します
例えば自分はこれまで数十年も「シュミレーション」だとすっかり覚え込んでいたところ「シミュレーション」ですよと指摘された瞬間を想像してみて下さい。
指摘された瞬間に限れば、私はこれまで数十年もシュミでやってきたのに今さらシミュとか「え?何それ?ありえない!」というのがあらかたの人の感情ではないでしょうか。
この【ありえない!】の部分には相当の不快感が乗っかているのは想像に難くないでしょう。そしてこの不快感こそが認知的不協和なのです。
認知的不協和ってなんだか難しそうですが「え?何それ?ありえない!」と思っている時の状態だと覚えるとぐっと馴染み深くなりますね。
さらにフェスティンガーはこの認知的不協和(え?何それ?ありえない!)が発生すると人はその解消に向けてとても積極的になると指摘します。
シミュだと指摘された私は今までしていた事を放り出してでもシミュが正しいのかを即座に調べようとするでしょう。この積極性は今あるとてつもない不快感をすぐに解消したいという欲求から来るというわけです。
私は○○シュミレーションというサイトがあった事を思い出しアクセスします。そしてそこにはシュミレーションなのかシミュレーションなのかどちらで書いてあるかを確かめます。そして自分が数十年の間まちがって覚えていたことを悟ります。実はここで悟った事で今まであった強烈な不快感はすっかり消え去っています。いろいろと恥ずかしかった場面があったかなと思いを巡らすかもしれませんがそれは全く異質の感情です。
この例の場合、自分が完全に間違っていたと悟った事により認知的不協和(え?何それ?ありえない!)を正しく解消したのです。
フェスティンガーは認知的不協和(え?何それ?ありえない!)は常に正しく解消されるとは限らないとも言います。
例えば、どうしても今更シミュだったと認めるわけにはいかないという強い信念や事情があった場合、容易く認めて悟る事はできません。私は日本中のテキストを相手にしてでもシュミと書かれている何かを見つけようとするでしょう。そうして一つでもシュミと書かれているものを見つけたなら「これは外来語の表現のゆらぎであってどちらが正しいと言うものではない」という結論をするに至ります。これによって極めて強烈な認知的不協和(え?何それ?ありえない!)を解消するのです。
しかしこの場合は正しく認知的不協和(え?何それ?ありえない!)が解消されたとは言えません。一般的にもこれは認知のゆがみと評価される行為です。
フェスティンガーはこの様に認知的不協和(え?何それ?ありえない!)は元の信念や確信度が強ければ強いほど強烈になりより正しく解消する事が難しくなると指摘します。
どうしても謝れない人がとんでも理論を持ち出してでも弁解するのは正しく認知的不協和(え?何それ?ありえない!)を解消できなかった哀れな姿だと言う事になります。
この様に私たちの日常には常に大なり小なりこの認知的不協和(え?何それ?ありえない!)が潜んでいます。私たちはこの認知的不協和理論を理解する事で自己成長や他者との関係構築においても有益に進める事ができるはずです。
認知的不協和理論の応用
実は認知的不協和理論は、マーケティング、教育、健康行動の変更など、多くの分野で応用されています。例えば、消費者が高価な商品を購入した後に後悔を感じることを防ぐために、商品の価値を再確認させる広告戦略があります。また、不健康な行動を変えるために、その行動の否定的な結果を強調することで、人々が健康的な選択をするよう動機付けることもできます。
認知的不協和理論は、私たちが日常生活で直面する多くの状況に適用できるため、非常に興味深い理論です。この理論を理解することで、私たちは自分自身や他人の行動をより深く理解することができるのではないでしょうか。
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