映画「花束みたいな恋をした」二人はなぜ別れたのか、エピローグ麦と絹の25歳の自信とは

こんにちは!今日は、コロナ渦の真っただ中にもかかわらず大ヒットを記録した映画「花束みたいな恋をした」の感想記事を書いてみました。



2021年公開の映画「花束みたいな恋をした」はコロナ渦の真ただ中での公開という不遇な状況にも関わらず興行収入38億円の大ヒットを記録。10代20代の若者のみならず多くの世代から支持されました。

これまで既に多くの感想やレビューがでていますので、2023年に取り上げるのはかなり後追いぎみですが今回はあまり今までとりあげられなかった別れた後の二人についてを書いてみたいと思います。その後にまつわる部分を書いてる都合上どうしてもネタばれを含みますのでご注意下さい。

「花束みたいな恋をした」ってこんな映画です

ちょっとだけまだ観ていない人向けに紹介させて下さい。

「花束みたいな恋をした」はそのタイトルといいジャンルが恋愛映画でありキャストが今をときめく菅田将暉と有村架純のダブル主演というイメージからしておとぎ話的キラキラ系恋愛映画か難病系お涙恋愛映画だと思ってる方も多いのではないでしょうか。

実は私も観る前はそう思いながらも何でそんなにヒットしたのか観てやろうと少し上から目線でいたのです。しかし観てみたらかなり良い意味でその予想は裏切られました。

おとぎ話の様なキラキラ感も難病もない恋敵もない。大きな事件は何ひとつ起きない。ただひたすらに21歳で出会った一組のカップルが25歳で別れるまでの5年間をひたすら丁寧に描写しているだけなのだ。

にも拘わらず多くの人、多くの世代に支持され、人によってはあまりにも心揺さぶられてしまう程の衝撃を受ける。

そして観た人の数だけ異なった解釈をする事さえもできる。そこに明確な答えは示されません。

「花束みたいな恋をした」ってこんな映画です。

私には「10年に1本クラスの映画だ」って言う評も決して大げさなお世辞には聞こえなくなりました。

実際10年ぶりに新品DVD買っちゃいました

やがて花束は枯れだす

ここからは私の感想と解釈を書いていきます。

麦と絹の奏でる「花束みたいな恋」はそれが花束であるが故に摘み取った瞬間がピークであり、やがて少しづつ枯れて行く運命にあったのは切ないですね。

枯れの速度は最初はゆるやかであったのですがあるきっかけをもって加速します。

あるきっかけとは麦の就職だったと思います。

麦の入った会社がブラック企業だと評する人も多くいますが、私はそうは思いません。

やる気を出させる事に長けているむしろ良い会社、またはそのような上司や先輩に恵まれたのだと思います。

麦は初めて社会から自分が必要とされたり期待される事に大きな喜びを覚えたのだと思います。

そして初めて自分が男の子としてではなく自立した男性として社会でやっていけそうな一筋の光明がチラっとだけだけど垣間見えた。

「何が何でもこの光と道筋を見失ってなるものか、絶対に食らい付いていく」という覚悟と同時に絹との生活からお金の心配を排除する男の責任を強く抱くようになっていったんだと思います。

しかしここに麦にとっての大きな落とし穴が潜んでいました。覚悟の方は健全な成長だったのですが、もう一方の絹との生活からお金の心配を排除する男の責任という心の負荷が「有害な男らしさの呪縛」を引き連れてきてしまったのだと思います。

この落とし穴は麦だけでなく多くの男の子が陥りやすいものだからこそ映画のストーリーに高いリアリティが生まれるのだとも思います。

この点はさまざまなレビューを見ても女性の視点か男性の視点か学生か社会人か、で大きく解釈が異なっていそうです。そりゃすれ違いますねっていうキモの部分なのかもしれません。

最悪のプロポーズ

絹が相談も無く転職を決めてしまった事が告げられる場面。ケンカの果てのプロポーズはとても心に突き刺さります。

  • 何故絹は相談しなかったのか
  • 何故絹は転職したかったのか
  • 何故麦は最悪のプロポーズに至ってしまったのか

絹が相談しなかったのは、そもそも二人の恋は「花束のような恋」だったから。大事な事はあまり話せていなかったのではないでしょうか。楽しい事ばかりを摘んだ花束に混ぜるには現実はアクセントではなくノイズにしか見えなかった。

絹は何故転職したかったのでしょうか。やはり絹も成長したかったし自信を持ちたかったんだと思います。一生事務をやって行くなんて夢が無さすぎるじゃないですか。

絹にもはっきりとは分からなかったけど変わっていく麦を見ている中で何か置いて行かれている自分を感じていたのではないでしょうか。

しかし残念ながら転職の理由を麦に問われた時、まだ絹自身にもはっきりとした自分の気持ちの整理ができていなかった為にきちんとした返答をする事ができなかった。

そして麦は心に溜まっていた「有害な男らしさの呪縛」をついに爆発させてしまいます。

「じゃあ結婚しよう。俺が稼ぐから、働かなくても家事もしなくても毎日好きな事すればいいじゃん。(怒)」

絹の気持ちを全然理解できていないままチカラ技でねじ伏せるような言葉を投げつけてしまいます。

言葉にしてしまった事で二人の関係性は同等ではなくなりました。これは麦が絹を支配しようとする構造に完全に変わってしまった事を明示する出来事なのです。これが二人がもう完全に元に戻る事ができなくなった最終的原因なのではないでしょうか。

二人がよく世間にありがちな学生から社会人になった時に起こる心の壁をお互いに取り払う事ができなかった根本的原因は、二人の恋が楽しい事だけを集めた「花束のような恋」だったから。でもこれを指摘するのはとても切ないことですね。

25歳の麦と絹、2020年の自信とは

この映画の構成はプロローグとエピローグが2020年の25歳の麦と絹であり、本編で延々とそこに至る5年間が綴られています。

全てを見終わった時ようやく観るものはプロローグとエピローグが繋がります。

~プロローグ~

麦と絹が新しいそれぞれのパートナーを前にイヤホンのカップルでの共有聴取についてウンチクを述べています。

観客は最後まで見た後ようやく二人のウンチクは受け売りである事が分かるのですが、ここで多くの人は疑問を抱いたのではないでしょうか。

二人は受け売りの知識をひけらかし、ましてや当人に指摘しに行こうとするほどに傲慢な人になってしまったのかと。

実は私もこの疑問に対する解をなかなか出せなかったのですが、最終的にはこう解釈する事にしました

冒頭シーンは二人が花束みたいな恋をその後の自信の源にしている表れであり絹も自信を持って自分を出せる程に成長した事を示すものなのだと。

ただしこの自信の表し方は自信過剰であり、よくないものですがお互いの姿を見つけて踏みとどまったのは未だに二人の同質性が健在である事も示しているのだろうと思います。

そしてここはやや苦しい解釈ですが

立ち上がって当人たちに指摘しに行こうとする姿は実は二人の脳内変換で起きた事であり実際は立ち上がってはいない。その瞬間二人はお互いの存在に気が付いただけだったのを映画のビジュアル上、立ち上がらせた脳内変換を観客に見せたのだと。

だからお互いのパートナーが立ち上がって指摘しに行こうとされたとは思えない程に制止してあげるでも驚くでもなくまったく無反応なのだと。

~エピローグ~

最後の麦と絹が思い出を蘇らす場面

絹の思い出は出会った晩に麦の部屋に行ったところでした。 麦が焼いてくれたおにぎりがおいしかった事、髪を乾かしてくれた事。

この思い出は麦がとても自分を気遣ってくれた思い出です。麦から支配されかかった片鱗のかけらも何も全くない所。

絹の最良の思い出が多摩川沿い部屋の同棲生活ではなく調布の部屋の場面だった事は、「花束みたいな恋」が麦に支配されかかった事によって破局した事を今ではしっかりと理解している事を示しているのだと思います。

絹はもう簡単にはそうはならない自信を持った強い女性になる事ができたんだと。

新しい彼氏に「靴、選んであげるよ」って言ってる姿からも以前にはない自信が垣間見えます。

麦は別れた後に起こったトピックについて絹がどう思ったのだろうかと思いを馳せます。

これは絹と別れた事により絹を支配できる対象ではなく一人の独立した人間として再び見る事ができる様になった事を示すのではないでしょうか。

きっと新しいパートナーを同じ様に傷つける事はもうないでしょう。

二人が振り返らずに手だけ振って別れたのは花束のような恋の失敗理由をお互いにもう解っている事を示すと同時に決して後戻りしない決意を示してるのではないかと思いました。

ラストシーン、麦はストリートビューに写った自分と絹を見つけて笑ってしまいます。これは学生時代の純真な心を取り戻したと共に絹との思い出は決して悪いものになってはいない事を示しています。

「花束みたいな恋」は二人の人生をひととき彩っただけではなく自分たちを成長させてくれた大事な財産であり思い出になったのでしょう。

多摩川(京王多摩川付近) ソラニンは和泉多摩川でこちらは京王多摩川、多摩川はもはや令和の神田川なのかもしれません

「花束みたいな恋」は未来の自分たちに贈る最高の花束でもあったのです。



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