人工知能(AI)が意識を持つことは可能なのでしょうか?これは科学と哲学の境界にある深遠な問いです。意識の本質とは何か、そしてそれがAIに適用可能かどうかは、長年にわたり多くの研究者によって議論されてきました。
現実のヴェールを超えて:私たちの見る世界の真実
私たちが日常で経験する「現実」とは、単なる事実の集まりではなく、それらに対する私たちの解釈によって形作られるものです。この考えは、心理学、哲学、そして日常生活の意思決定に至るまで、多くの領域に影響を与えています。事実と解釈の間のこのダイナミックは、私たちの感情や行動にどのように影響を与えるか、そして私たちが世界をどのように理解するかに大きく関わっています。
プロジェクションサイエンスとクオリアの不思議な世界
さて、プロジェクションサイエンスとは、私たちの感覚や感情、思考が外の世界に投影されるプロセスを研究する科学のこと。そして、クオリアとは、個々の主観的な感覚体験のことを指します。つまり、赤いバラを見た時に感じる「赤さ」や、レモンを食べた時の「酸っぱさ」など、言葉では表現しきれない独特の体験です。
しかし、ここで面白いのは、プロジェクションサイエンスが提案する「投射」の概念。私たちは、感じたことや考えたことを外の世界に投影することで、自分の感覚を世界に拡張しているのです。例えば、氷に触れた時に感じる「冷たさ」は、私たちの中に生じる近位項であり、それを氷という遠位項に投影することで、氷が冷たいものであると認識します。
この「投射」によって私たちは客観的な情報を認識することができますが、同時に主観的な情報「クオリア」を認識する事もできるのです。
この主観的な認識であるクオリアがどのようにして生じるのか、そしてどのようにして私たちの認識に影響を与えるのかという点です。認知科学の研究によると、私たちの脳は感覚器からの情報を受け取り、それを「表象」として内部に再構築します。この過程で、情報の一部が失われることがあり、それが「過剰性」と呼ばれるものです。
クオリアの概念における過剰性とは
過剰性とは、クオリアが持つある種の「余分さ」を指します。つまり、クオリアは私たちの生存に直接必要な情報を超えた、何か余計なものを提供しているのではないかという考え方です。例えば、トマトの赤さを感じることは、トマトを識別するのに役立ちますが、その「赤い感じ」自体が生存に必要な情報を超えている可能性があります。
では、この過剰性がクオリアにどのように関わってくるのでしょうか?実は、私たちが感じるクオリアは、この過剰性によって生じる可能性があるのです。つまり、私たちの脳が情報を再構築する際に、何かを付加したり、何かを省略したりすることで、独自の感覚体験が生まれるわけです。
クオリアの過剰性は、私たちの意識が単なる情報処理機械ではなく、感覚的な経験を通じて世界を体験する複雑なシステムであることを物語っています。そして、この複雑さが、私たちの意識の豊かさと深さの源泉なのかもしれません。クオリアの謎を解き明かすことは、私たちが世界をどのように経験しているか、そして私たち自身がどのような存在であるかについての理解を深めることにつながるでしょう。
“受動意識仮説”:私たちの意識はどのように形成されるのか?
前野隆司教授の「受動意識仮説」は、意識とクオリアについて独自の視点を提供しています。
この仮説では、意識は自ら命令を出して脳を動かしているのではなく、脳の自立分散処理を受動的に見て、それを「あたかも自分がやったかのように錯覚する」だけだと説明されています。つまり、我々が何かを考えて、何かを感じて決断し、自らを動かしていると思っている感覚は、実際にはその感覚は錯覚であり、脳で起きていることは、ニューラルネットワーク(無意識の小人たち)の自立分散処理を受動的に意識が「自分でやった」と錯覚するように定義されていて、意図的に行動したと我々は思い込んでいるだけなのです。
そして、クオリアについても同様の視点が提供されています。クオリアとは、我々の意識活動にともなって現れる、生き生きとした質感のことであり、例えば「赤いりんごを見て美味しそうだな」と感じるような主観的な体験のことを指します。前野教授の受動意識仮説では、このようなクオリアもまた、「脳が作り出した巧妙な錯覚」であるとされています。
したがって、前野教授の受動意識仮説は、我々が日常的に経験する意識やクオリアという現象を、脳の自立分散処理という視点から新たに解釈することを提案しています。この視点は、意識やクオリアという複雑な現象を理解するための新たな道筋を示すものであり、脳科学や哲学の分野で広く議論されています。
色彩心理から垣間見える無意識の小人たち
我々の見ているクオリアが現実通りではない事を示す身近な例があります。
上の図を見るとパネルの色が切り変わる境界直前が明るく、切り替わった直後が暗く見えます。これは「縁辺対比」と呼ばれる現象で実際には存在しないグラデーションが私たちには見えてしまうのです。
しかし実際は上の様に各パネルは単一色でありグラデーションはありません。
これは私たちの脳の無意識の小人が行うプロジェクションサイエンス(加工と投射)が色の境界を際立たせる細工をしている為と考えられます。
AIに「意識」を持たせる事も可能かもしれない
人工知能(AI)がクオリア、つまり主観的な経験や感覚を持つことは可能なのでしょうか?これは現代哲学だけでなく、AI研究の分野でも大きな議論のトピックとなっています。クオリアは、私たちが赤や青といった色を見たり、甘い味を感じたりする際の主観的な「質感」を指します。AIがこのような主観的な経験を持つことができるかどうかは、AIが単なる高度な計算機を超えて「意識」を持つことができるかに関連しています。プロジェクションサイエンスがどのようにしてクオリアを生み出すのかを解明すればAIに「意識」を持たせる事は私は可能だと思います。そして意識メモリに出力されるプロセスには受動意識仮説の知見が解明の鍵になるだろうとも思います
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