私たちヒトを含む多くの哺乳類は、Y染色体によって性が決まります。しかし、すべての哺乳類が同じ性決定システムを持っているわけではありません。奄美大島と徳之島に生息するトゲネズミは、Y染色体を持たないにも関わらず、オスとメスに分かれるという、哺乳類の性決定の常識を覆す存在です。このトゲネズミの研究は、生物の性の進化という壮大な謎に迫る、新たな一歩となるかもしれません。
トゲネズミ:琉球の島々に生きる小さな先駆者
トゲネズミは、その名の通り全身がトゲのような硬い毛で覆われた、日本の固有種です。主に奄美大島、徳之島、沖縄本島といった南西諸島の森林に生息しています。それぞれ異なる島に隔離され、独自の進化を遂げてきました。そのため、これら3島の種の間には遺伝的な隔たりが生じ、交雑が困難になっている可能性が非常に高いです。Y染色体を持たないのは奄美大島と徳之島に生息するトゲネズミです。
外見: 体長は15cmほどで、ネズミという名前ですが、リスのようなふっくらとした体つきをしています。全身を覆うトゲは、捕食者から身を守るための鎧のような役割を果たしていると考えられています。
生態: 夜行性で、木の上で生活することが多く、どんぐりなどの木の実や昆虫を食べています。ジャンプ力が非常に高い。
和名(学名) | 生息地 | 体の大きさ | 性染色体型 |
アマミトゲネズミ (Tokudaia osimensis) | 奄美大島 | 最も小さい | XO/XO |
トクノシマトゲネズミ (Tokudaia tokunoshimensis) | 徳之島 | 中間 | XO/XO |
オキナワトゲネズミ (Tokudaia muenninki) | 沖縄本島 | 最も大きい | XX/XY |
Y染色体を持たない哺乳類
奄美大島と徳之島(以下2島)のトゲネズミネズミは、哺乳類でありながらY染色体を持たないという、非常に珍しい特徴を持っています。通常、哺乳類のオスはXY染色体、メスはXX染色体を持っていますが、この2島のトゲネズミはオスもメスもX染色体を1本しか持っていません。このため、この2島のトゲネズミの性決定メカニズム詳細は、生物学の大きな注目対象となっており研究者の熱い視線が向けられています。なを近縁のオキナワトゲネズミの研究からこの2島のトゲネズミも当初はY染色体を持っていたと考えられています。つまりY染色体をなんらかの事情で消失した可能性が高いのです。
しかし驚くべきことにこれら2島のトゲネズミは現在も何の支障もなくオスメスに分化し生殖活動を継続させているのです。
日本の天然記念物
トゲネズミは、その希少性から日本の天然記念物に指定されており、絶滅危惧種でもあります。生息地の破壊や外来種の侵入など、様々な脅威にさらされています。
トゲネズミのXO/XO型性決定:哺乳類の性決定の常識を覆す
一般的に、哺乳類の性は性染色体によって決まります。メスはXX、オスはXYという性染色体の組み合わせを持ち、Y染色体上のSRY遺伝子がオスへの分化を誘導します。これをXX/XY型と言います。
しかし、奄美大島、徳之島2島のトゲネズミはY染色体を全く持っておらず、オスもメスもX染色体を1本しか持っていません。これをXO/XO型と言います。つまり、SRY遺伝子も存在しないのです。
では、どのようにしてオスとメスに分かれるのでしょうか?
これは1970年代にその存在が発見されてから長年にわたって謎でした。しかし近年1このトゲネズミの性決定メカニズムの決定ポイントを北海道大学と東京工業大学の共同研究チーム2がついに発見したのです。
一般的な哺乳類の性決定メカニズム(概要)
まずは一般的な哺乳類の性決定メカニズム(概要)を一度おさらいしておきましょう
常染色体と性染色体
常染色体と性染色体を持つことは、雌雄が存在する多くの生物に見られる共通の特徴です。
- 常染色体: 雌雄で共通に持っている染色体です。身体の形成に関わる遺伝子が多く含まれています。
- 性染色体: 雌雄で異なり、性の特徴を決定する遺伝子を含む染色体です。ほとんどの哺乳類はXX/XY型の性染色体を持ちます。
XX/XY型哺乳類が雌雄を決定する仕組み
一般的な哺乳類ではY染色体上のSRY遺伝子が性決定に関わっています。またSox9遺伝子は、オスの性分化に重要な役割を果たします。この遺伝子が活性化すると、生殖腺が精巣に分化し、オスとしての性徴が現れます。下図のエンハンサー領域はSox9遺伝子を発現するスイッチの役を果たします。
トゲネズミのXO/XO型性決定メカニズム
一方Y染色体を持たないトゲネズミでは下記のような性決定メカニズムを持つ事が発見されました。X染色体は雌雄で同じな為もはや性染色体としては機能しておらず代わりに常染色体と思われた3番染色体において雌雄で異なる領域が作られておりこれが実質的な性決定をしていたのです。
このようなSRY遺伝子に依存しない哺乳類の性決定メカニズムの発見は世界初となりました。
3番染色体は雌雄で異なるため新たな性染色体と言えるかもしれません。かつての性染色体だったX染色体は完全に雌雄同一化しており実質的に常染色体と言えます。このような性染色体の転換は「ターン・オーバー」と呼ばれるそうです。
Y染色体消失の原因と消失が示唆するもの
そもそもY染色体のような通常は組み換えされない染色体は遺伝子数の縮小化の宿命を負っています。それでも他の哺乳類がまだY染色体を縮小させながらも保持出来ている中でトゲネズミがY染色体を完全に失ってしまった具体的な原因については、まだあまり解明されていません。しかし、いくつかの説が提唱されています。
遺伝的浮動: 小さな集団で遺伝的浮動が起きやすく、有害な遺伝子が固定化されやすくなります。トゲネズミは、島嶼部に生息する種が多く、遺伝的多様性が低いと考えられています。そのため、Y染色体上の有害な遺伝子が蓄積され、機能が低下し、最終的に消失した可能性が考えられます。
環境の変化: 気候変動や生息環境の変化など、環境要因がY染色体の機能に影響を与え、消失を加速させた可能性があります。
新しい性決定システムの出現: Y染色体以外の遺伝子が、性決定の役割を担うようになり、Y染色体が不要になった可能性があります。
トゲネズミのY染色体消失が示唆するもの
2島のトゲネズミの例は、Y染色体が必ずしも生物の生存に不可欠なものではないことを示唆しています。Y染色体が消失しても、他の遺伝子がその機能を補うことで、種として存続することが可能であることが分かりました。
このことは、人類のY染色体の未来についても重要な示唆を与えます。人類のY染色体も、トゲネズミのように徐々に縮小していく可能性が考えられます。しかし、同時に、ターンオーバーによって新しい性決定システムが誕生し、Y染色体がなくなっても男性が消滅する事は決して無く人類が存続できる可能性は十分にあると言えそうです。
引用元文献、引用サイト
- 本研究成果は、2022年11月28日(月)に「The Proceedings of the National Academy of Sciences(PNAS、米国科学アカデミー紀要)」誌に掲載 ↩︎
- 北海道大学の黒岩麻里教授らのグループと東京工業大学伊藤武彦教授、梶谷嶺助教らの研究グループとの共同研究チーム ↩︎
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