昭和好き女子、昭和の風景は懐かしい、昭和レトロブーム、昭和ノスタルジック等々何故、昭和が今こんなに人気なのか、昭和の新人類世代である筆者が探ってみます。今回は昭和40年代の世俗を思い出してみます
昭和好き女子!昭和懐かしい!レトロブームそんな人気の昭和をおじさんが思い出してみたPart1(40年代編)
4月29日は昭和の日です
明治の日、大正の日、平成の日は無いのに昭和の日だけあります
何故昭和の日だけはあるのか
それは多くの国民の要望を受けたからです
それだけ昭和という時代が日本国民に良くも悪くも思い出深い時代であったってことですね
昭和の日:激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代をかえりみ、国の将来に思いをいたす
実は明治の日という祝日は無いのですが11月3日文化の日、これ実は明治天皇の誕生日なのです
こちらも明治という激動の時代を乗り切り日本を世界の表舞台へと躍進させた天皇の祝日を残してほしいという国民の運動により制定されたんですね
明治と昭和、共に確かに激動の時代でしたもんね
さて今回のテーマである昭和の人気は何故なのか、その理由の根底が垣間見えた様な気もします
今、昭和という時代が何故人気なのか、昭和39年生まれの筆者がその記憶とともに掘り下げていくシリーズテーマ
今回は「40年代編」です
人気の盲点、原風景がまだぎりぎり残っていた時代・昭和40年代
残念ながら昭和39円生まれの筆者には昭和レトロ人気の中心昭和30年代の記憶は微塵もありませんので40年代からスタート
筆者が思い出す昭和の景色(昭和40年代・川崎・横浜)
- 通勤ラッシュ時に猛烈な勢いでキップにはさみを入れまくる改札の駅員さんカッコ良かった
- 車掌さんのいるバス、次で降りる時は「降りまーす」って車掌さんに言う
- テレビに良くでてきた東京証券取引所、その場立ちのひとの多さとあふれかえる熱気
- 市電が走る横浜の市街地
- 光化学スモッグ注意報、川はドブの匂い、公害
- タバコはカッコ良いものだった、どこでも吸えた
- 子供の背丈ほどあるすすき野の野っぱらとガケ地の竹林
- 近所の雑木林の山でクワガタ獲りで蚊にさされまくる夏休み
- 近所の田んぼ脇でザリガニ獲り
- 10円ガチャ、20円ガチャ
- 社宅は木造、共同炊事場で風呂無しの高度成長時代
- 学校返りに立ち寄る小さなおもちゃ屋さん、駄菓子屋さん
- コンビニは無く町には元気な個人商店がいっぱいあった
- 2年生と5年生は木造校舎だった小学校
- 二子多摩川園、向ヶ丘遊園地、ドリームランド、野毛山遊園地
- 母親は割烹着姿
- 路地は未舗装、雨降るとドロンコ
- 防空壕に探検へ、野原に秘密基地
とまあこんな感じですか、なんかテーマに関係なく手当たり次第に思い出したものを羅列しちゃいました
人気の昭和30年代に比べてだいぶ現代に近づいた40年代は地味か
プレイステーションのゲーム「ぼくの夏休み」をゲームでなくリアルで東京郊外でもいけたギリギリの時代って感じですかね
映画「ALWAYS 三丁目の夕日」の最終盤あたりからオイルショックまでを駆け抜けた昭和40年代
それでもウチの親の会社の社宅はまだ木造でしかも風呂無しでみんな銭湯通い、炊事場も洗濯場も共同だったりでまだまだ三丁目の夕日の世界観が残っていました
それと現代とは違ってコンビニがまだ無かったので町には元気いっぱいの個人商店がたくさんありました。町のアーケード市場も大賑わいで活気がありました
この頃はマイカーをもっていない家庭もまだまだたくさんあったので買い物=近所の商店街だったひと達が大勢いた。町の商店の天敵はコンビニ・大型スーパーだけじゃなくクルマもなんですよね
でもこの時代あたりからマイカーの普及が急速に伸びていくワケです
おそらく現代の街の景観に魅力が無いのはこうだと私は思っているんです
それは、街のつくりも消費者側もクルマ中心になり過ぎているから
どの街も車道によって向こう側とこっち側に分断されてしまっている上に狭い歩道なんかでは街あるきの楽しみが半減している
クルマが絶対に入ってこない路地の商店街には何かバザーや朝市の様な楽しい雰囲気が生まれます
マイカー普及が大きく伸びる昭和40年代は次第にクルマ中心の街化が進み始め街の景観もつまらなくなっていく過渡期の時代なのかもしれません
市電も消えていきました。ガラガラの道を市電が走る姿は趣がありましたがクルマがワンサカ走ってるところに市電は危なさしか感じませんでした
そして昭和40年代終盤、オイルショックの襲来によりついに高度成長時代という黄金時代の終焉を迎えることに
昭和50年代編につづく
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