日本の街はいつからこんなに綺麗になったのかPart1

日本の街はいつからこんなに綺麗になったのか

YOU TUBE を見ていると外国人が日本の街、路上、公共交通機関等々にゴミが全然落ちていない事に驚きの声を上げているという動画が沢山出てきます。

日本人の私でも改めて周囲を見渡すと確かに異常とも思える程どこもかしこも綺麗だと思います。

だけどこれは果たしていつからなのでしょうか。

まずは筆者がいい年齢である事を利用して筆者の記憶と共にこの問いについて探っていきたいと思います。


まあさすがに筆者幼稚園時代はほぼこれに関する記憶が無いので、小学生のころ(昭和45-51)あたりからスタートです。

少なくとも筆者が小学生だった頃(昭和45-51)の記憶では路上はこんなに綺麗ではありませんでした。

住んでいたのは小田急線の駅で言うと生田という所で、当時の場所柄のイメージとしては都心を抜けて郊外の住宅街も超えて田園がだいぶ目に付き出すゆったりした所まで来ちゃったな、生田、という辺りでしょうか。

小学生ですので行動範囲はかなり限られますが少なくとも学校から自宅までの約1.5Kの道のりをほぼ毎日歩いて帰った記憶はかなり強く有ります。

当時の路上のゴミの記憶筆頭は空き缶及びそのプルトップ、次点にコーラ等の空き瓶とその王冠。当時の缶のプルトップは缶本体から引きちぎるタイプでしたのでプルトップ単体があちこちに転がってましたよね。

確か野鳥がこのプルトップの被害を受ける事が問題になって今の缶のスタイルになったような記憶。

空き缶本体もそれこそ大量に棄てられていて、中でもクルマに挽かれ捲ってペシャンコになった缶を見ると小学生ながら何だかもの悲しくなった思い出。

コーラの空き瓶は酒屋さんに持っていくと10円で買い取りしてくれました。筆者も拾い集めた事が有りますが何しろ大量に転がっているけれども小学生には結構な重さになるので数本が限度だったかなぁ。

王冠の裏のラバーをめくって書いてある金額のお金が貰えるなんてのもありましたよね。

また、当時生田には東映生田スタジオという仮面ライダーを制作するスタジオがありました。筆者が学校の帰り道をわざといつもの道から外れてすすき野生い茂るのっぱらの中を行くコースを選ぶと、そこには仮面ライダーの撮影で使われた発砲スチロールに岩の塗装をした大道具が捨てられているのを良く目にしました。

小学生目線には仮面ライダーがここで戦ったんだ!と妙な興奮を覚えましたが、今の基準で考えれば産業廃棄物不法投棄のなにものでもないですよね。

仮面ライダーの撮影での思いでで小学校の真横の空き地で戦闘シーンの撮影が行われた時は教室のみんなが窓外に見入ってしまい流石に授業にならなかったなんてのもありました。

少しノスタルジックかつ脱線ぎみな話になりましたが、何しろ当時の路上は瓶缶だらけだったです。

めったに乗らない電車に乗った時の記憶では、どの駅も、どの駅もホームに設置された小さな灰皿から、もうもうと煙が立ちのべていて小学生目線には恐怖を感じる光景だった。

社会科見学の授業で製菓工場を見学しに川崎区に行ったときはカルチャーショクを受けました。まずバスから降りたとたんに襲ってくる強烈な臭い。ゴムを焼いたような金属が燃えたような強烈な臭いが街中を覆っている様に思えました。空気も霞んでモヤがかかっています。

「こんな所に人がいてはいけない」小学生の純粋なる生存本能が生命危機の叫びをあげます。

そう、当時深刻な社会問題であった公害の姿がそこにあったのです。

今の中国の大気汚染問題のニュースを見るにつけ筆者はどうしてもこの時の体験を思い出してしまいます。そう日本も昔はそうだったんだ・・・と。

昭和45-51年辺りは路上は瓶缶だらけ、駅はタバコもうもう、産業廃棄物は投機し放題、公害、工業地帯は大気汚染が深刻・・・・と今の綺麗さとはかけ離れた、良く言えばワイルドで自由奔放、悪く言えば規律文化的にまだ未成熟な時代だったんだなと思います。

Part2に続く

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。