今、どうしても欲しいモノ・・有りますか。欲しいのは「モノ(商品)」ではなく「もの(心を満たす何か)」ではないですか。
一体、いつから僕たちはモノに憧れなくなってしまったのだろう。
現代日本に蔓延する不幸なる体質
今でも「夢の○○」、「憧れの○○」のキャッチフレーズが使える商品て「マイホーム」ぐらいではないだろうか。スマホは便利で手離せないのは確かだけど「夢」「憧れ」の対象とはちょっと違う。むしろ現実そのものの代表格だろう。
エコカー、最新パソコン、スマートテレビ、ミラーレスカメラ、加湿エアコン、高機能電子レンジ、自動掃除機・・
何れも実用品としての価値を越えて「夢」「憧れ」を抱く対象とはどこか違う。
かつては「夢」「憧れ」を抱けるモノが確かに有った。記憶に新しい平成以降のものとして・・・・出始めのころの大画面HDテレビ、黎明期の携帯電話、ウインドウズ95~XP時代のパソコン、初期のデジカメ、PDA。
これらの共通する特徴は「今までにあったものの多少の改良品」ではなく「全く新しくでてきたもの」。ただこれが「夢」「憧れ」の対象であったのは昭和の時代から変わらない構図。
しかし平成以降の製品には共通する特徴がもう一つ有った。それは
「アナログ時代からデジタル時代へ始めて切り替わった瞬間の製品」であること。つまり全てデジタル製品なのである。
実はこのデジタル製品であることが、現在の「夢」「憧れ」を持ってもらえない不幸へと繋がってしまうキーワードだった。
そう、「デジタル製品は少し待てば安くてしかも性能の上がった新型がすぐに出てくる。」という事をみんなが学習してしまったのだ。
この不幸なる学習効果により、ついにはこれまでに存在しなかった新しいモノに対してさえも無感動な体質が染み付いてしまったのが現代日本なのである。
全ての新しいモノに熱くなれた時代
とってもモノに対して冷めている現代日本。その代わりに「人情」「人との関わり」「思いやり」「温かさ」等「ひとの心」に飢えた人たちがとても増えてきた。
そしてそんな現代とは全く逆の「モノはなくとも心は豊富にあった」時代が確かに日本に存在した。それは
昭和30年代
現代日本人が求めてやまないものが、当たり前のように豊富にあって、冷めてしまったモノだけは無い時代。
この時代が現代日本人に「古き良き時代」とされる理由はここにあるのかもしれない。
映画「ALWAYS 三丁目の夕日」はそんな「古き良き日本」昭和30年代の時代感、雰囲気さらには空気感をも実にリアルに表現した作品である。
この時代のモノに対する思い、地域のひと達との関わり方、家族のあり方、懐かしい風景・・・
きっと視聴後には「この時代に生きたかった」と思うことだろう。でもそれは絶対に叶わない。
過ぎ去ってしまった時は決して戻せないことの切なさ。
せめてひと時だけでも、「古き良き時代」に浸ってみてはいかがですか。
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